一般ガイド養成講座がスタートしました。

初回は「大山の歴史」について大山公民館にて学習。午後から大山の門前町を歩きました。

学習風景は、会場が狭く全体撮りができなかったので、省略

大山の山岳信仰の始まり。

天平勝宝7(755)良弁僧正が聖武天皇の勅許を得て、山腹に大山寺「現在阿夫利あるところ」を、山頂に石尊社「阿夫利神社」を建て、大山を神仏混淆の山岳信仰の聖地としたのが始まりです。

他にも日本全国に大山と呼ぶ山はたくさんがありますが、鳥取県の(だいせん)と神奈川県の大山(おおやま)が、同時期に日本遺産として登録されています。

HP等では、両者が混在して検索されますので、ご注意ください。

二ツ橋 ここに板だけの小さな橋が二つ架かっていたことから地名となったようです。

今回は、大山の歴史を学んだ後、大山の門前町を、三の鳥居付近の二ツ橋「旧街道」から歩きます。


坂東三獅子「村山坊の庭にある」

この石造は親獅子が子獅子を谷に落とし、這い上がってきた強い子を我が子として育てたという伝説に因んだもので、江戸石工二十一組が1839年に大山石尊に奉納した。

これと同じものが、神田明神と成田不動にもあるという。

坂東三獅子。作者は当時の石彫の名工、弓町の石切藤兵衛といわれています。


少し先に進むと、米屋と言う屋号のきゃらぶき本舗。江戸時代から続く老舗。

以前は米屋を営んでいた。

大山には、ほかに大津屋というきゃらぶきの老舗がコマ参道にあります。

それぞれ味の付けが違うようで、どちらがおススメとはいえません。

きゃらぶきの他にもたくさんの山の幸の佃煮があります。

ご試食いかがですか・・。


試食をして味を確かめたら、皆さん研修中だと言うのにお土産を買い始めました。

この日も猛暑で、塩気や濃い味付けのものが、熱中症予防に好まれますようです。

次は大山阿夫利神社の社務所

普段は静かなところである。しかし、秋季祭(8月27日~29日)是非拝観されたい。

大山の祭りは夜が賑やかだ。門前六町御輿がここに集合し、夜、練り歩く。社務所の能楽堂では能と狂言が演じられます。日中は倭舞、巫女舞が奉納されます。

海舟の神社

洗足池畔(大田区)の勝海舟の別荘にあった祠が道路拡張にかかるためここに移築された。

江戸から訳ありで移設されました。大山中興の祖権田直助と勝海舟に親交あったことから、大山阿夫利神社末社としての神格を与え海舟神社とした。

社務所の裏には、ツツジで造園されて、酒まつりと書かれています。

この社務所には全国から集められた、酒を祀る祭壇があるようですが、酒は苦手なのでこれについてはパス。この裏山に登ると大山桜がある。多少傾斜はきついが、こちらの7ほうが近い。

社務所の入り口の左右に、石塔がありますがありますが、ここにも言われのある彫刻が彫られている。

旧道を進みますが、本当の大山道はこの左下にある川の側にあったようです。

愛宕滝

しばらくすると愛宕滝 現在はそれほど多くの水量はありませんが、大山詣りする際ここで身を清めたようです。滝の左右に倶利伽羅竜王が安置されていたと言うが、今は右側に石造の竜王像が一体残っているだけである。

愛国社は福長町鎮守である。愛国社は水の神であり酒の神の松尾社が合祀されている。


愛宕滝を過ぎると、旧道もいったん終わり橋を渡り車道に・・。

すると不動明王が。


開山堂 良弁堂(ろうべんどう)とも呼ばれています。

愛宕滝の上には、良弁(ろうべん)堂があり、その隣には大山能の祖、権田公園があり貴志又七郎の墓があります。権田直助について好きだ、嫌いだと言う色々な声がありますが、実際大山の再興のためにどうかかわりあった人か、調べてみるのもいいですね。

大山縁起絵巻によると、良弁は2歳の時金色大鷲にさらわれてしまう。その後奈良東大寺の二月堂の杉(良弁杉)の枝に奈良につれられていったと言う説があります。大山縁起絵巻(2巻)平塚図書館にも収蔵されています。かけられていたのを、義淵僧正に助けられ僧としての教育を受ける。

開山堂(良弁堂)内部。奥に良弁僧正仏像が安置されています。

良弁滝 安藤広重の錦絵などに描かれています。

昔は水量も多かったのかも・・。

飯縄大権現

良弁滝の横の階段を登ったところにあります。この社は山岳宗教の主役である山伏の守護神を祀ってある。ご神体は狐にまたがったカラス天狗が疾駆する姿の像


良弁まんじゅう本舗

良弁滝を過ぎると、老舗の良弁まんじゅう本舗があり、予約をしないと買えないと言われています。

秋の観光シーズンは、ここで予約してから大山に登る人が多いようですが、夏場は予約しなくても買えるようです。一口サイズの小判型をした饅頭です。


先導師旅館「おおすみ山荘」さん

バス通りをしばらく歩き、再び旧道のとうふ坂に入る。

とうふ坂の由来について記載があります。

昔、講中が夏の暑いさかりに、冷ややっこを掌に載せて歩きながら食べて喉を潤したところから豆腐坂と呼ばれるようになった。今でいう食べ歩きの元祖かも。

先導師旅館のおおすみ山荘さんには、以前先導師と大山の関わり合いについて知るために、講義をしていただいたことがあります。

《先導師については、奥が深いのでここでは省略》

道路の斜面の至る所に、江戸火消や有名デパート、有名企業の講の石碑などが沢山あります。

今回の画像の中に、縄が張りめぐされていますが、これは8月27日、28日、29日に行われる大山の「おくだり」と言う行事(まつり)の準備です。

芭蕉の句が刻まれてますが、芭蕉は大山に来たのか?。





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