2020年1月11日(土)
2020年のスタートは、いせはら生涯学習ボランティア協会・いせはら市民大学と、いせはら観光ボランティアガイド&ウォーク協会が共催する「いきいきシニア伊勢原まつり」が開催されました。
いよいよ開場です。
席もかなり埋まり開演までもうすぐです。
席も満席。まもなく開演の時間です。
司会を担当するのは、学ボラからは原さん(女性)、観ボラから鳥海さん(男性)です。
以降、いせはら生涯学習ボランティア・いせはら市民大学は(学ボラ)、いせはら観光ボランティアガイド&ウォーク協会は(観ボラ)と省略します。
いよいよ開演。学ボラ会長の逢坂伸一氏のご挨拶です。
高齢化社会をどう生きていくかの、お話だったように・・
来賓のご挨拶
伊勢原市教育長 鍛代英雄様より第17回「いきいきシニアまつり」開催のご祝辞をいただきました。
来賓のご挨拶
伊勢原市社会教育課長 小谷祐二様より、ご祝辞をいただきました。
来賓のご挨拶
伊勢原市社会教育専門員 相原博様 ご挨拶をいただきました。
その他にもたくさんのメッセージをいただきありがとうございました。
来賓のご挨拶のあと第2部の文化行事に移ります。
《ここで日本舞踊家 五條詠寿郎》さんの舞踊が披露される予定でしたが、東京講演の予定と、調整できず今回の公演は断念することになりました》新年とあって分刻みのスケジュールのようです。
次は落語の部
例年はプロの落語家が登場するのですが、なんと今年は東海大学落語研究会から男女各一名による落語です。東海大学と言えば今年も箱根マラソン頑張りましたね。
新春にふさわしく、元気のいい声で始まりました。頭下位亭 文世(とうかいてい あやせ)と読みます。
次の番の「一一一一」と書いて(とうかいてい かくめい)さんのあとに、もう一話披露していただけるようです。山号と寺号の落語は面白いお話でした。
他にもたくさんの、題目を持っているそうですよ。
女性の落語家ですが、威勢がよく元気をいただきました。
芸名と言っていいのかわかりませんが「一一一一」 一 が四つ、貼る位置が悪く、隠れてしまいました。
頭下位停 一一一一 (とうかいていかくめい)さんと読む
お題は桃太郎と言うお話。噛むところもなくすごく上手かったですね。
楽しい落語でしたよ。まだ2年生、とっても楽しそうでした、落語家の道にすすまれるのでしょうか。
次はレクダンス
動きが早くカメラが付いていきません。ここにいつも参加されるMさん。あれ!今日は踊らないのですかと聞くと、目が回るからあたし着物の踊りでないとだめなのと・・。
3曲も踊られました。元気がいいですね~! もうばあさんなんて呼ばせない。
家ではお孫さんと一緒に踊っていそう!
手話ダンスだそうです。
中央が英会話講師を務めていただいている、学ボラの会長代理。こんな一面もあったのですね。はじめてみましたが、何かフラダンスを踊っているようにも見えました。
手作り甲冑隊による5人の太田道灌。その他にも色々な演目がありようです。
総勢百数十人の隊員。あちらこちらから引っ張りだこで忙しいようです。
ここに飛び込んだのが、地元演歌歌手の小倉恵子さん。3曲熱唱!
最後は、会場の皆さんも飛び込んで、歌は太田道灌の歌なんだけど、なぜか踊りは炭坑節?
これが歌にあうらしい。
楽しく過ごした時間もあっという間に終わりました。そういえば会長、開演のご挨拶がなかったと思ったら、ここで登場!!
最後の〆、学ボラ、観ボラの両会長の三上会長の挨拶。甲冑隊を背景に、こういう挨拶の形は初めてです。
伊勢原市は関係自治台と協力し、太田道灌をNHK大河ドラマに!!推進する活動を行っています。3日前、2022年度の大河ドラマの発表があり、「鎌倉殿の13人に決定」したとのニュース。 会長は御年85才?夢が実現まで、まだまだ寿命が伸びそう。
2020年明智光秀⇒2021年渋沢栄一⇒2022年鎌倉殿の13人の武将⇒2023年は「?」
【太田道灌ってどんな人】
太田道灌は、今から580あまり前の永享4(1432年)、相模国(鎌倉市扇谷の説あり)で生まれ、暗雲漂う室町時代(1338~1573年)中期を駆け抜けた武将です。
幼名は鶴千代、元服して資長(すけなが)を名乗り、道灌は法名です。
道灌の壮年期に、京都で「応仁の乱」が勃発、戦国時代が幕あけします。
戦いは百年も続き、血で血を洗うような激闘が全国各地で繰り広げられました。
関東も騒乱に巻き込まれ、下位の者が上位の者を倒す下克上の世となりました。その渦中にあって、あくまで主君の扇谷上杉氏のために戦いぬいたのが、家宰であった太田道灌です。
関東各地を転戦すること30数回に及び、ほぼ負け知らずの名将でした。
扇谷上杉家とは、関東地方に勢力を誇った上杉氏の諸家の1つであり、太田家が務めた「家宰」とは武家一門内の責務で、家長にに代わって家政を取りしきる要職でした。
【時代背景】
室町幕府の鎌倉府が関東を掌握していた時代、鎌倉公方補佐役の関東管領を、山内氏と扇谷の両家の両上杉家が勤めて参りました。
扇谷は山内氏の分家的な立場でしたが、太田道灌が扇谷しの家宰として活躍した結果、主家の山内氏をしのぐ勢いになります。
やがて両上杉と鎌倉公方の抗争が関東全域を巻き込み、拡大しました。
応仁の乱の勃発前のことです。
関東の武士団は互いに覇権を争い、乱世に拍車をかけます。道灌は駿河・今川家の家督争いの鎮撫にも出陣し、その際、戦国時代の火ぶたをきった北条早雲と出会ったとも伝えられています。道灌と同い年とも20歳以上も年下とも言われる早雲は、道灌亡き後、小田原城を拠点に
関八州を切り従える戦国の覇者となってゆきます。
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