心敬塚の折句歌


心敬塚の 折句歌ゆふたすき

これが原文の折句歌碑ですが、凡人には読めません。

折句歌(翻訳文)の新しい歌碑が建立されました。これでもルールが分からないとよく理解できません。横向きに見たり、逆さに見たり首が痛くなりそうですね。

縦軸。横軸が整理されて、ようやく読めるようになりました。

赤い文字がキーワードになっているようです。

とは言っても、よくルールがわかりません?

□□の部分は、原文から読み取りができなかった文字でしょうか?

この折句は、心敬の言う連歌ではないと思いますが・・。


心敬とは

連歌中興の祖といわれる心敬は、応永十三年(一四〇六)に紀伊国名草郡田井庄(現在の和歌山市)に生まれた。幼いときに出家し、比叡山で修行を積んだ。京都東山の十住心院の住持となり、後に権大僧都に至った。正徹に和歌を師事し、『ささめごと』、『老いのくりごと』、『心玉集』、『心敬僧都百句』、『芝草』などの著作を遺した。宗祇は弟子に当たる。宗祇が名匠として選んだ連歌師七賢のうちの一人。

応仁の乱の騒乱を避け、関東へ下向し、太田道灌の父、道真が開いた連歌会「河越千句」などにも参加した。文明三年(一四七一)夏、相模国大山山麓の古寺、石蔵山浄業寺に身を寄せ、同六年には江戸城で開かれた太田道灌主催の「武州江戸歌合」の判者を務めた。翌七年(一四七五)四月一六日に、当地石蔵(伊勢原市上粕屋字石倉)にて没した。享年七〇歳。

・浄業寺は、源頼朝の夫人北条政子が、不慮の死をとげた頼朝の供養のために建立された寺と言われています。現在は廃寺。


いせはら観光ボランティアガイド&ウォーク協会

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