1、大山阿夫利神社のご祭神
・大山衹神(オオヤマツミノカミ)・・・本社の祭神、山の神の第一人者
・大雷神(オオイカヅチノカミ)・・奥社の祭神。雷の神様とそて神格化されたもの。
・高龗神(タカオカミノカミ)・・前社の祭神、高は山や峰を意味し、龗は竜神で雨水を司る神の事。
・鳥石楠船神・・海の守り神として魚業や海運の信仰が大きい。
※大山衹神の娘が富士山・浅間神社の主祭神の小花咲耶姫姫(コノハナノサクヤヒメ)であり、大山と富士のどちらか一方だけをお参りする事を「片詣で・片参り」として嫌う風習もある。
2、大山寺の起源
寺伝として「大山寺縁起絵巻」にあるように、755年に奈良東大寺初代別当となった良弁僧正によって、伽藍などが再興された際に鋳造された鉄製の不動明を始めとする三尊像が現存し、国の重要文化財に認定された。
3、茶湯寺の百一日参り
茶湯寺の百一日目には各家庭の仏壇の正式な一員となる。それを拝んでいただくところが茶湯寺であった。お寺から頂いたお茶でまず一服し、仏壇に供え、お後を皆で頂く。供養の帰り道に故人に似ている人に出会うといでう言い伝えもある。
4、大山の階段数
ケーブルカー駅まで(382段)、大山寺まで(928段)阿夫利神社下社(女坂経由)1610段。
5、大山と豆腐
・製造に適した綺麗な水がある。
・修験者や僧侶たちの精進料理であった。
・大山の先導師が拝礼や祈祷等の初穂(謝礼)として受け取った大豆が大量にあったなどが理由として考えられる。
名物は他にも木地師が作る木工製品(独楽など)や山菜の佃煮、饅頭などがある。
6、大山参りとは
参道の脇に〇〇太夫や〇〇坊などの看板が目につくが、これは元々は御師(おし)と呼ばれれ、阿夫利神社並びに大山寺の信仰を広める役割りをしていた。関八州のはもとよりそれに隣接する地域、遠くは伊豆八丈島まで信仰を広めたのは御師の功績である。
明治維新後に御師は先導師と名を改めた。
8、まねき・玉垣(たまがき)手水舎(ちょうずや)
大山参りの最盛期の夏になると、先導師の門前に名入れ手拭いのようなものがたくさんさげっれる。これは毎年参拝される顧客たちが自分の名前や講社(団体)名を染めあげたもので「まねき」と言い、宿坊側がお客様を招きいれるという意味である。布製が普通であるが、板に彫ったものを「板まねき」と言う。また先導師の家を取り囲むように、講社名や講員名が彫られた玉垣や、玄関先には神社にあるように手水舎も多く見られ、大山の風物詩になっている。
手水舎があるのは、宿坊の各々が宗教法人であり、神殿を備え神社の形態を持っているからである。
※大山信仰を複雑にしているのは、大山は神仏習合の寺社であったが、明治の神仏分離や廃物希釈運動により、江戸期と明治以降では大きく大山の形態も変わっている。
0コメント