2月5日 曇りで寒い1日になりましたがウォーク中は丁度いい温度。
愛鶏供養搭とお地蔵さん
愛鶏供養塔は以前この付近に、養鶏場があったようでその供養としてたてられたらしい。
(珍しいらしい)
お地蔵さまは、なぜ赤いよだれかけと帽子をかぶっているのか? それには意味があった。
話が長くなるので詳細はこちらから 参照。
赤い帽子とよだれかけはAmazonでも購入可です。
太郎の力石
太郎の力石と言われる大きな石があり、太郎が下駄をはいてこの石の上でシコを踏んだ際についたとされる下駄の歯跡がそうです。
下駄の歯跡らしきものは確認できませんが、見える人には見えるが見えない人には見えないとも・・・また石の上が削られてしまった説も、さてあなたなどちらを信じますか?
又、太郎は大変な力持ちで、平塚に向けて弓を射ったら、途中で矢が2つに折れてしまい、弓の先は「矢崎」へ、羽根は「矢羽根」に落ちたと言われています。これに似た話が他にもあり
「矢羽根不動尊」
太郎伝説は他にも、飛んできた曼荼羅の幡の妖怪を太郎が射落としたら、曼荼羅の幡が鶴巻の落幡村に落ちたことから落幡村となった。日向薬師の唐櫃から飛び出した錦幡という説もあるようです。
矢倉沢往還道に入ると、右側の善波川があり洪水で川底が削られ古代杉が露出したと言われています。今は見えないようです。
粘土質の土に埋もれていたようで「埋もれ木の木」としてなずけられたそうです。
埋もれ木のあるところの道路の下に、道反対側の耕作地に水を引くための手掘りの灌漑用水路のトンネルが跡が残されています。
道路反対側の畑地 ここに水を送ったと思われます。
矢倉沢往還道らしくなってきました。比較的緩やかな登りです。
矢倉沢往還をしばらく歩く。東海道が整備するまでの間、たくさんの人が行き交った道。
沼津まで。
途中に夜泣き石が この案内版どこかでみたような。・・そうそう大山の七不思議のものと同じデザインのものでした。・・この石から夜になると女性の旅人の声が聞こえるらしい。
更に先に進むと馬頭観音の供養塔群が現れる、馬は昔大事な存在であったことが想像できます。人と同じ家の中で暮らすほど馬は大切にされました。
少し視界が開けてきました。
このままいくと沼津まで行ってしまうので、本日の矢倉沢はここまで。折り返し国道246号方面に向かいます。
予定では三島神社に立ち寄よる予定でしたが、トイレ中継のため善波の自治会館に変更。
三島神社はパスし昼食予定の勝興寺に向かいます。
寺に入る予定ではありませんでしたが、住職が寒かろうと寺の本堂を開けてくれて待っていました。本堂の広い部屋を暖めて待っていてくださったようです。
今日は住職のご厚意で暖かい部屋での昼食です。
ご住職から勝興寺についての説明までしていただきました。
ご本尊は薬如来坐像(東方瑠璃光薬師如来)
本堂の横にある客殿は、明治時代の旧伏見宮邸請見(しょうけん)の間を平成7年池袋の「祥雲寺」より移築したもの。秋篠宮殿下も訪れてたらしく、ご住職とのツーショット写真も。
100年たってようやくそりが丁度良くなるように作られた天井板だそうだ。
(普通はすぐ反り返る)
柱、床の間、全てがそのままに移築
戸板まで1枚板 縁側の窓ガラスは波打った明治時代の板ガラスでした。
広い廊下もは全て1枚板、継ぎ目なし 和室周りの縁側の廊下は黒松、ヒノキ。
広大きな玄関の床は欅の1枚板。見えないところに贅を尽くすのが日本建築。すごいですね。
廊下も広い。
今回は暖かい本堂でのお食事になりました。もちろんコロナ禍、静かにお食事です。
食事の後は「紙芝居」の上演。キャンディももらって・・懐かしい紙芝居を再現
善波太郎物語「奪われた館を取り戻した武将」だったかな・・
左)語り部のおばさん(Iさん) 右)紙芝居の作者(Uさん)
大変よくできました。パチパチパチパチ・・・ おしまい。
善波にはこんな伝説も
源頼朝は、1194年(建久5年)、木曽義高との悲恋が原因で病となった長女大姫の治癒祈願のため、霊山寺(日向薬師)を参詣し「大太鼓」を納めたといわれている。
~破れ太鼓の伝説~
むかーし、せんば峠の麓のせんば村に大きな楠があった。
村人の自慢の楠だったが、あまりに大きいので村中が陰になってしまい農作物が少ししか収穫できなかった。
そこで村人は、楠を伐って太鼓をつくり、残った木で橋をつくることに。
やがて太鼓が完成。
楠の橋を渡って日向薬師に納められた。
時は流れ・・・
源頼朝が日向薬師を参詣したときのこと。
大きな太鼓が頼朝の目にとまり、富士の巻狩りで使用することに。
凄まじい太鼓の響きで獣たちが飛び出し、巻狩りは大成功だったのだとか。
その後、日向薬師に戻った太鼓は、長い間お堂の中に置かれていたが、時を告げるために鳴らすことに。
しかし・・・
その響きは山を越えて海まで轟き、漁師たちが魚が獲れなくなって困ってしまう。
音の原因が太鼓とつきとめた漁師たちは、太鼓の皮を破ってしまったのだという。
以来、日向薬師の大太鼓は、鳴らない破れ太鼓音となってしまったのだとか。
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