2022年6月21日(火)
小野の里、アジサイを観賞しながら、古くからの伝説の地を巡るウォークの記録です。
鎌倉殿の13人に加え、各地のアジサイ開花が報道されるおかげでしょうか、大勢の方に参加いただきました。熱中症対策もあり、愛甲石田駅からバスに乗り、3つの目のバス停・愛甲橋で下車、ウォークをスタートしました。
最初の目的地は、上愛甲自治会館の敷地内にある神明神社です。
この辺りに愛甲氏の館がありました。
館の面影を見つけられなかったので、愛甲三郎館跡の石碑の写真をアップして掲載します。
神明神社を後にして、愛甲三郎季隆の菩提時である宝積寺に向かいました。
田植えが終わった水田の間をウォーク。水を張った田は鏡のようで気分爽快な風景でした。
愛甲山宝積寺には、愛甲氏の墓と伝わる五輪塔が残されています。
吾妻鏡の中の愛甲季隆三郎について説明がありました。鎌倉殿の13人でも放映された曽我事件など、熱い語りに耳を傾けました。
宝積寺から縁切り橋に向かう途中で西部用水を横切りました。観ボラでは、6月3日に「西部用水・平間の散策」の企画ウォークを行いましたが、今回、上流を見ることができて感激しました。
梅雨時でしたが、大山を眺めることができました。
大山の麓に中世のロマンありですね。
旧玉川跡に「縁切り橋」の石碑がたっています。玉川野球場の側です。
縁切りとありますが、どんな縁だったのでしょうか?
「鎌倉時代に愛甲三郎季隆は源頼朝に愛されていた“丹後の局”を案内して安産祈願のために日向薬師にお参りした時に頼朝の妻”政子”が差し向けた1千騎の軍に焼き討ちされ、この急報を受けた季隆は、この橋のたもとにくるとすでに館は火の海、これを機に季隆は北条方から心が離れてしまい、後に和田合戦へと進んでいきます。このことから、村人はこの橋を”縁切り橋”と呼ぶようになった」と書かれています。
縁切り橋から小野神社の間、玉川沿いの道をウォークしました。
玉川河畔のアジサイの花、玉川越しの大山、最高のビューポイントでした。
小野神社で集合写真を撮りました。
小野神社は、古く「延喜式」にその名が記されている式内社です。愛甲三郎季隆、大江廣元とも縁が深く、また、明治時代、祭神に日本武命が加えられました。東国遠征に向かった日本武命が野火の焼き討ちの苦難にあうなど、小野の里で繰り広げられた歴史ロマンについて熱い説明がありました。詳しく知りたい方は、次回、企画された際にご参加ください。
小町神社に向かう玉川沿いで、玉川の改修工事の説明がありました。昔、玉川は、川幅が狭く、蛇行していたため、度々氾濫し、昭和16年7月には8か所の堤防が決壊、尊い8名の人命が奪われる大惨事が発生しました。太平洋戦争下、地域住民、学徒動員の女子学生が主となって大工事に着手し、現在の直線的な流れになりました。
最後の目的地は小町山の頂に鎮座する小町神社です。ひたすらの登りでした。
10分位の登りでしたが、息を切らせて山頂に到達すると、純白な社殿、赤がまぶしい屋根の小町神社が出迎えてくれました。世界三大美女の小野小町を祀る神社です。小野小町の生誕伝説は全国各地ありますが、厚木市小野もその一つです。
小町神社には、政子の呪いで白髪となった丹後の局(縁切り橋の説明を参照してください)が、小町姫に祈願をかけたところ、黒髪に戻ったと伝えられています。
小町神社を下って駐車場で解散しました。小野宮バス停まで数分で行けます。
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