日向薬師初粥・初薬師ウォーク記録

2023年1月8日(日)

今日は初薬師です。御本尊のご開帳と2年ぶりの薬師粥の振舞いを楽しむウォークです。伊勢原駅北口から日向薬師行のバスに乗車しスタートです。

終点の日向薬師バス停です。今回は、観ボラの企画ウォークのほか、県のたよりを見て初薬師に参加された皆さんや観ボラのガイド養成・外国語講座の皆さんも一緒です。

神奈中バスには臨時便を運行いただきました。

最初のスポットは旧参道入口にある日向神社(白髯神社)です。日向の鎮守は1933年に白髯神社から日向神社に社名が変更になりました。御神体は白髯明神です。「日向薬師縁起」によれば、白髯明神と熊野権現は、行基が日向山を開創する際に香木を授けたと伝えられています。

観ボラの企画ウォークに参加いただいた皆さんの集合写真です。ゴールの日向薬師は初薬師で込み合うため、日向神社で写真を撮りました。

日向薬師の石段を昇るところにある衣装場(いしば)です。源頼朝が大姫のやまいの平癒祈願に52名の御家人と共に日向薬師へ参詣した時、旅装束から白装束に着替えた場所が今に伝えられています。

石段を昇ると仁王門です。金剛力士像が門の両側に立って参詣者を迎えます。

口をあける阿形(あぎょう)、閉じる吽形(うんぎょう)で一対の金剛力士像。鎌倉の仏師によって製作されたものです。その技は、鎌倉彫へ引き継がれています。

参道の脇に馬頭観音庚申塔などが集められた箇所があります。

参道をさらに登ったところの右側、崖の中腹にある坂本凱二の歌仙碑です。

「ひらかかる 御厨子の扉 きしむさへ 生きの穢れ(けがれ)の 身を正さしむ」

今日は初薬師、秘仏を納めた御厨子の扉は開かれています。

宝城坊本堂に着きました。本堂は国の重要文化財に指定されていますが、文化財に指定されている木造の仏殿としては県内最大です。国指定の重要文化財である仏像は宝殿(防災収蔵庫)に移されましたが、本堂内にも県指定の重要文化財が多く置かれています。源頼朝が、富士の巻狩りに使い、娘大姫の病気平癒を願って参詣した折に奉納したと言われている大太鼓もあります。

宝城坊の鐘堂です。国指定の重要文化財の銅鐘が吊るされています。

宝城坊の二本杉「幡掛け杉」です。樹齢850年と言われています。名前の由来は、天から幡が降ってきてこの木にかかったから、鎌倉公方足利基氏が奉納した大幡をこの杉にかけて薬師供養を行ったことからとも言われています。

左側では、大勢で御粥を炊いています。冒頭の写真はそのアップです。

平安時代中期の女流歌人で三十六歌仙の一人相模の歌碑です。

「指(さ)してこし 日向の山を 頼む身は 目もあきらかに 見えざらめやは」

相模守大江公資の妻相模が、眼病平癒を祈って参籠し、その願いを歌に詠み、これを本堂の柱に書きつけたと言い伝えられています。

本堂の西側の少し高くなった所に宝殿(防災収蔵庫)があります。今日は、年に五回の特別ご開帳です。本尊厨子が開かれ、秘仏、なた彫り一木造の薬師如来および両脇侍像(日光菩薩月光菩薩)を拝観できました。コロナ対策で一度に入館できる人数が制限されましたが、観ボラ役員が展示物の説明を行いました。

本日のウォークは宝殿で解散し、その後、参加者は各自、11時30分から予定されていた薬師粥の振舞いに並びました。

境内は、薬師粥をいただくため、大勢の参詣客が並んでいます。

観ボラの役員も列に並びました。御粥には御餅と大根がトッピングされ、一杯でも十分な食感があり、大変美味しかったです。

ウォーク参加者の皆さんも、薬師粥をいただくことができました。この一年間の無病息災と身体健全(祈念)ですね。今日は、日向の地名の由来のように日差しが明るく、風もなく、新春早々、快適なウォークでした。


いせはら観光ボランティアガイド&ウォーク協会

伊勢原市を拠点とする観光活動を推進するボランティアガイドです。 伊勢原市周辺の観光案内や観光ガイド、ウォーキングなどを開催。