伊勢原史蹟巡り(下糟屋)ウォーク記録

3月7日(火)歴史の町・伊勢原の下糟屋を中心に、神社・仏閣をめぐりました。

いよいよ春到来を感じる暖かな日より、多くの皆さんに参加いただきました。伊勢原駅からも近い下糟屋周辺をめぐるコンパクトなウォークでしたが、思わぬ発見がありました。

伊勢原市内の平坦なコースですが、金山公園で準備体操を行い、身体を整えました。体操の後、ウォーク企画責任者から、コースの案内や注意事項の説明がありました。今日訪れる大慈寺、高部屋神社では、それそれのご好意で、お堂や拝殿の中も見学できるとの説明があり、楽しみです。

太田道灌の銅像は、関東とその周辺に13体あります。終焉の地、伊勢原では、市役所前にあります。冒頭の写真は、銅像のアップです。笠を深くかぶった道灌公の顔を撮るのは難しいです。

ここから、畑地を抜けて、渋田川沿いを「首塚」をめざしました。参加者には伊勢原在住の方も多く参加されましたが、下糟屋周辺の社寺、仏閣を訪れる機会がなかった、あるいは、久しぶりに訪れて昔を懐かしんだ方もいらっしゃいました。

伊勢原には下糟屋の大慈寺、上粕屋の洞昌院の2か所に大田道灌の墓があります。写真は、太田道灌の墓とされている「大慈寺の石塔群」です。この墓所は地元では、通称「首塚」と呼ばれています。

道灌の墓所から道路をわたって、太田道灌の菩提寺「大慈寺」に着きました。今回は、お寺にお願いしてお堂の中を拝見させていただきました。

大慈寺のお堂の中の写真です。聖観音像を拝観し、また、大正期~昭和初期の首塚の写真など見ることができました。

下糟屋の集落のほぼ中心部にある「普済寺」です。本堂前の広い庭の一隅に大きな「多宝塔」があります。伊勢原市内の石造建造物では最も大きいものです。もとは、高部屋神社に隣接してあった糟屋山神宮寺に建立されたものですが、明治の初めころ、神宮寺が廃止された際に、普済寺に移されました。

延喜式内社相模国13座のうちの一社「高部屋神社」です。拝殿は、入母屋造りの茅葺きです。茅葺きの建物が少なくなる中で貴重な存在で、平成28年、本殿、幣殿とあわせて、国登録有形文化財に登録されました。

氏子総代の方から、拝殿について説明を受けました。その後、少人数に別れて、拝殿の中も見学させていただきました。

拝殿の正面のひさし部分(向拝)です。軒下には見事な彫刻が施されています。写真は、浦島太郎と助けた亀です。この亀には耳があるとの説明です。

例大祭の写真なども見ることができました。拝殿の前には、高部屋神社の神事、汐汲みの祭事の写真も展示されていました。高部屋神社は海とのつながりもあり、浦島太郎が彫刻の題材になっているのもその縁でしょうか。

丸山城跡公園で、大山をバックにして集合写真を撮りました。

第1班の皆さんです。

第2班です。秦野から参加いただいた皆さんは、ここでお別れしました。(撮影ミスで、何度も取り直しましたが、皆さんのご協力でいいショットが撮れました。)

集合写真を撮った後は、この公園で昼食休憩です。風もなく、暖かい日差しのもと、しばしノンビリタイムでした。

発掘された丸山城址は、太田道灌の活躍した時代にも使われていたと考えられています。

堀や土塁も確認されていますが、写真は「横矢掛り」の説明です。攻めてくる敵を横から弓矢で攻めるのは有効な防御策であり、丸山公園も、戦国の世の城と実感しました。

丸山城址から246号線に並行する大山街道(※)を通って、次の目的地である「弥杉の祠(いやすぎのほこら)」を目指しました。写真は、大山街道の手前、大学病院の裏に通じる道脇にある庚申塔です。

※東海大学病院前を東西に貫く旧矢倉沢往還と柏尾通り大山道です。

最終ゴールである「咳止め地蔵」に着きました。今日のウォークはスムーズに進行し、皆さんに案内した予定より早く着きました。ここで解散しましたが、ここから伊勢原駅までは歩いて20分でした。

いせはら観光ボランティアガイド&ウォーク協会

伊勢原市を拠点とする観光活動を推進するボランティアガイドです。 伊勢原市周辺の観光案内や観光ガイド、ウォーキングなどを開催。