善波の矢倉沢往還と三嶋神社ウォークの記録

3月7日(木)伊勢原の西端の善波地区のウォークを行いました。

前回のウォークの松田山の頃は河津桜も満開で、春爛漫といった気候でこれで今年は春に突入!と思っていましたがそうはいかないので春先の天気です。

菜種梅雨とか花冷えといった言葉通りの日が続きましたが当日は何とかウォークの出来る天気となりました。

寒風が予測され日でしたが、36人の参加を頂き伊勢原駅発9時05分のバスに乗って桜坂バス停で下車し、比々多公民館でトイレをお借りし、準備体操をした後ここから出発しました。

桜坂交差点の迷路の様な歩道橋を渡り、谷戸岡公園を過ぎ未だソメイヨシノの蕾は固いままの善波川に沿ったさくら並木道を歩きます。(秦野は桜並木が多いです)

善波川に沿って道を遡り、分岐を右に行き「太郎の力石」を見てから正面の矢倉沢往還の旧道を進みます。

ここからは矢倉沢往還の中でも最も往還の雰囲気をが残っているエリアです。

うっそうとした杉林の中に並ぶ石仏群は見た目は暗いものがありますが、これらは全て農耕等に飼っていた馬を供養したものです。「牛馬の如く使われる」とか言われますが、当時の人は現在の犬や猫と同様かそれ以上に馬を可愛がっていた事の現れではないかとも思われます。

杉林を過ぎると視界が開けて右側にR246と塔の山等が見られる長閑な風景となります。

更に進むと往還の分岐があります。このまま左を進むと昔の茶屋が有った言われる付近の民家が有り、更に進むと行き止まりの標識となります。(それでも進むとモーテル街の一角に入り込み道は途切れ峠には行けません)峠の石仏が並ぶ切通しを過ぎると秦野盆地と富士山が一望出来るというルートですので、多少ずれても往還がつながる道があれば・・と思います。

分岐点の右側に傾いた支柱に半鐘がぶら下がっています。

目的は良く分かりませんが民家からは離れているので火事とかではなく熊が出没したとかの警報用でしょうか。

今日はここで右側に降りて少し戻ってR246の下を通って三嶋神社を目指します。

三嶋神社の桜は脇道の入口の河津桜以外は硬い冬芽のままでした。

三嶋神社は御嶽社と八幡社を合祀して創建した神社で、祭神は大山祇之神、誉田別命(応神天皇)、日本武尊命の三柱で、夫々六太兵衛(竹美姫の父)、善波太郎重氏、竹美姫(重氏の妻)が祀られています。

善波太郎は鎌倉時代が始まった1185年に亡くなっているとの事で、活躍の記録等はあまり残っていない様ですが、弓の名手で旗を射落としたとか、勘当された流浪の旅から領地を取り戻した伝説が残っていて地元のヒーローとなっていたものと思われます。

今日は紙芝居師のこまりさんが熱で休んだので、代わりに

神社の柱の前で、善波太郎の物語を紙芝居風に説明しています。

三島神社から谷間の近道を通って勝興寺を訪れました。いつも親切にして頂いているご住職さんは生憎不在でしたが、本堂も開けて頂きご本尊の薬師如来像も拝む事が出来ました。この如来像は高さ28cmと小さいですが玉眼で寄木造りの南北朝時代の作といわれるもので市の重要文化財ともなっています。本堂も築300年で、離れは旧伏見宮邸を移築したもので唐桧の一枚板の廊下をはじめ贅沢な建材を使っています。

境内には立派なコウヤマキ(高野槙)が植えてあります。イヌマキは良く見かけますが伊勢原の寺院では意外と少ないです。耐水性が有るせいか昔は棺桶に使われていて、遺跡から発掘される木棺の多くはこのコウヤマキが使われているとの事です。

境内で昼食休憩をさせて頂いた後の本堂の前での集合写真です。

勝興寺さんを後のして参道を下りR246を歩き坪ノ内のバス停で解散です。

バス停は伊勢原駅行きと鶴巻温泉行の両方が有り、それぞれの好みで2手に分かれてバスに乗りました。

次回のウォークは3月28日に秦野の水無川から戸川公園の桜見物のウォークで春を実感したいと思います。楽しみにお待ちください。

いせはら観光ボランティアガイド&ウォーク協会

伊勢原市を拠点とする観光活動を推進するボランティアガイドです。 伊勢原市周辺の観光案内や観光ガイド、ウォーキングなどを開催。