4月15日、日向薬師の春季例大祭です。御本尊のご開帳とともに、山伏が魅せる修験の世界、「神木(しぎ)のぼり」を楽しむウォークです。
当日の境内です。今年も多くの皆さんが集まりました。「神木のぼり」の様子はウォークの後にご紹介します。
ウォークは、日向薬師バス停からスタートです。朝から夏日も予想される好天。大山につらなる山々の姿に春らしさを感じました。
バス停から歩いて数分、旧参道入口にある日向の鎮守、日向神社(旧白髯神社)です。本日の企画責任者から、本日のウォークの見どころなどについて説明がありました。
御神体である白髯明神は、天智天皇の世に朝鮮半島から渡ってきた高麗王若光(こまおうじゃっこう)です。「日向山縁起」によると、白髯明神と熊野権現は、日向山を開創するため山中を歩いていた行基へ香木を授けたと伝えられています。
参列者で賑わう日向薬師の混雑も考えて、白髯神社で、集合写真を撮りました。
旧参道で仁王門へ向かいました。日向薬師参詣のため、鎌倉から騎馬行列でやってきた源頼朝も、この道を通ったのでしょう。
仁王門に向かう石段の下に「衣装場(いしば)」があります。源頼朝が、健久5年(1194年)8月8日丙申(ひのえさる)寅の刻、娘・大姫の病気平癒祈願のため、52騎を従えて、日向薬師にやってきたとき、ここで旅装を脱ぎ、白装束に正装したと伝えられています。
石段の上に仁王門が見えてきました。登り始めて直ぐですが、今日の陽ざしで汗も、しばし休憩です。
うっそうと茂る寺林に囲まれた仁王門は天保4年(1833年)の再建です。二体の金剛力士像は、鎌倉の仏師後藤真慶による作。役員の説明に聞き入る参加者の後ろで、仁王さまの鋭いまなざし(玉眼)は何を意味するのでしょうか。
仁王門をくぐり、のぼりはじめると甲石(かぶといわ)。(甲石は、左側で説明している役員の足元にある甲(かぶと)の形をしているミドリの石です。頼朝に従ってきた鎌倉武士たちが甲を掛けて休んだところと云われています。)役員は、左手奥にある山の神の祠について説明をしています。
参道にある坂本凱二の歌碑です。役員による説明が終わって歩き始めたところです。日向薬師の参道や境内では6つの歌碑を見ることができます。参道に2つ、境内に4つです。見つけてください。
凱二は、古寺巡礼の歌仙。明治38年茨木県結城市に生まれ、この歌碑は昭和60年に建立されたものです。「ひらかかる 御厨子の扉 きしむさえ 生きの穢の 身を正さしむ」
本日、ご開帳しているの御本尊を収蔵している厨子(国指定重要文化財)を謳ったようです。扉を開ける時は、どのような音が聞こえるのでしょうか。
参道をさらに進むと、山伏装束の皆さんとすれ違いました。本日は、インバウンド向けの映像を撮影されているようです。
前方の石段の上に本堂が見えてきました。日向薬師の参道は、玉ねぎの表面を削いだような模様の「玉ねぎ石」を見ることができる岩盤、地表に露出した木の根がはっている箇所があり、足元に気をつけて歩きました。いよいよ最後の階段を登ると本堂です。茅葺屋根と赤い柱は、いつ見ても美しいです。
日向薬師宝城坊の本堂に着きました。まずはご挨拶です。5年をかけた平成の大修理を終えた本堂は、国指定の重要文化財です。木造の仏殿としては神奈川県内最大、総茅葺屋根のおもむきは壮観です。防災収蔵庫である宝物館(宝殿)に収蔵された仏像に劣らね数々の仏像や文化財を見ることができます。
本堂前で2班の皆さんの集合写真です。中央に見える木は、「神木のぼり」で修験者が登る椎(しい)です。
本堂を背景に1班の皆さんの集合写真です。こちらのサイトからは、修験者が登る椎の木のはしごが分かります。
境内では、野だての席も準備中でしたが、役員が、12本の柱で茅葺屋根を支えている「鐘堂」について説明しています。鐘(銅鐘)は、南北朝時代のものとしては全国的に見ても大きなものです(国指定重要文化財)
平安時代の女流歌人「相模」(さがみ)の歌碑です。相模守大江公資(きみより/きんより)の妻相模が、眼病平癒を祈って日向薬師に参籠し、「さしてこし 日向の山をたのむ身は 目もあきらかに 見えざらめやは」と薬師堂の柱に書きつけました。
宝城坊宝物館(宝殿)の前です。この日は、御本尊を納めている厨子の扉が開かれ、鉈彫り薬師三尊を拝観することができました。拝観できるのは一年のうちで5日だけです。宝殿の中には、御本尊以外にも、丈六の薬師如来坐像、阿弥陀如来坐像、四天王立像、十二神将立像や修復を終えた獅子頭など多くの国指定重要文化財を見ることができます。
本日のウォークは、宝殿の見学で終了しました。午後1時から始まる「神木のぼり」の儀式は、各々で見学いただきました。
宝殿前の崖に多くのシャガが咲いていました。
毎年4月15日に行われる日向薬師宝城坊の例大祭、彩燈護摩に先立って「神木のぼり」が修験者に扮した地元保存会の方々によって行われています。旧暦3月15日、薬師堂(現宝城坊本堂)の前に立てた神木(椎の木)に藤づるのはしごをかけ、目隠しをした修験者が登り、山刀を抜いて四方を切り邪気を払い、疫病除け、魔除けの餅をまいたり、扇子を投げたりして、皆競って拾ったと言われています。
いよいよ開式です。
参列者が取り囲む式場(修験道場の幟が立っています)の中を進みます。
護摩壇の前に着座されました。
式の進行について、わかりやすい説明がありました。
山伏問答が始まりました。入山の資格を問うべく、入山の目的、修験者としての知識を尋ねているようです。
斧をふるって道場を清めているようです。
悪魔を払う宝弓を掲げています。
四方(東西南北)、鬼門、中央の6方向に矢を放ち魔性を退散させています。
放たれた矢は、拾った方が持ち帰ることができます。
私の目の前でも矢が放たれました。来年は着地点で待ち構えたいと思います。
剣で印を切り、心身と結界を清浄しているようです。
修験者が神木に登りました。下から見上げるとかなりの高さです。白い布で身体を木に縛りつけます。
神木の上で、祈願文を読み上げます。
神木の上で、剣で印を切っているようです。
祭壇の灯明から種火をとって、護摩壇に点火しています。
参列者に配られる紅白のお餅も用意されていました。
護摩壇から煙があがってきました。
修験者による火生三味、一般参列者による火渡りと続きますが、ここから先は、皆さん、来年、ご自身で体験してください。
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