New ! 青山道⑧ 愛甲石田~石倉ウォークの記録

今回は愛甲石田駅~石倉の区間を歩きました。二子玉川をスタートし、ようやく伊勢原の地に。前回の続きで、愛甲石田北口からのスタートです。


1班のさんガイドは、Yさん担当です。


2班のガイドさんはKさん担当です。


3班のガイドさんはTさん担当です。


1班 最初の立ち寄り先は、浄心寺へ。不動堂には色鮮やかな不動明王が祀られていますが、今回は青山道ウォーク企画の為、拝観ありません。


2班がまだ説明中のようで、浄心寺の入口で待機。


3班 浄心寺不動堂の前に、文化12年に建立の道標があり、「左(ひなた)ななさわ、右(いいやま、をぎの) ”をぎの”は「荻野」のことです。

三班の皆さん、興味深々、食い入るように見ていました。


へっぴり坂

浄心寺を出て国道246号に沿って歩くと、右側に下る道があり、青山道入ります。

この坂を下りきると今度は登り坂となる、割り地坂です。宅地開発などで現在は緩やかになっているようですが、江戸時代は、荷駄馬が足を踏ん張り、放屁しながら登ったので通称「へっぴり坂」と呼ばれていたそうです。

この坂を登りきると右手に奥に、昔、茶屋が2軒あったそうです。現在は東屋があり、矢倉沢往還(青山道)で、最も景色がいいところだったそうです。

この先また下りとなり、荻野道と合流します。更に国道246号の中華料理店前の信号を渡り、白金山住宅方面に向かいます。


白金地蔵尊

成瀬小学校前にある白金地蔵尊は、白金の茂田半左衛門さんが、子宝に恵まれず、子育て地蔵を造って家の傍らの小高い丘にお祀りしたところ、願いかなって子供を授かりました。この地の地名をとって白金地蔵と呼ばれるようになったそうです。現在のお地蔵さまは、平成8年に造り替えられたものだそうです。


粕屋宿(旧粕屋村)

白金藤蔵から糟屋塾方面に進み、柏尾通大山道と青山道が合流するところに自転車屋さんがあり、店頭に柏尾通大山道の標識などがあり、往時を偲ぶことが出来ます。


高部屋神社

今回は青山道ウォークが目的なので、難しい説明は今回しません。

国登録の有形文化財で、拝殿は茅葺屋根です。注連縄に、ホンダワラという海藻が付けられています。これは神社に伝わる“汐汲み”の神事に由来。正面の柱には龍が巻き付き、軒下には、亀に出会う浦島太郎。その上には、乙姫と竜宮城という珍しい彫刻が彫られています。正面の扁額は山岡鉄舟筆「高部屋神社」だそうです。


丸山城址

近年に行われた発掘調査では、太田道灌が登場する室町時代から戦国時代の遺構が確認され、この時代に特有の城の城郭が確認されました。これまで上杉館は上粕谷にあったとの説が有力でしたが、ここが上杉の粕屋館だったという説が新たに浮上してきました。


新緑の丸山城址の城郭


ツツジが満開で見頃になりました。


咳止め地蔵

東海大学病院前をしばらく歩くと、咳止め地蔵があり、矢倉沢往還と青山道(大山道)分岐になります。ここで矢倉沢往還とはお別れとなります。

咳止め地蔵の由来は、新田を開発するため地蔵堂の横を流れる渋田川を堰き止めした場所にあり、いつしか「堰」が病気の「咳」を止める咳止めになり、端息平癒の地蔵として信仰されてきたそうです。地蔵さんに願をかける時、まず泥の団子をお供えし、願いが叶ったとき本物の団子をお供えすると伝えられています。


あー疲れた。

矢倉沢往還とはここでお別れ 大山道に進みます。


しばらく歩くと三軒茶屋

往時の大山街道を偲ばせるのどかなこの道に、三軒の茶屋があったそうです。

今は野菜の直売所あるだけ 先行の1班の人が買いあさってしまったか?


昼食場所に予定の山口家住宅に到着 

山口家の方から梅干しのおみやげ、50人もの人にこんなにいっぱい梅干しを。


梅干しの詰め放題に大忙し。皆さん何袋もいただく人も。

大きな漬け樽が空っぽに‼。


昼食終え、集合写真を撮りました。久し振りにカメラを使用したので心配でしたが、何とか取れていました。クリックすると画像が拡大できます。


ここは三所石橋供養塔

大山道沿いに千石用水が流れ、途中三か所を大山道が横切る箇所があり、そこに石の橋がかけられたようで当時としては、すごい事だったようでその石橋を供養するために建立された供養塔。供養搭って生き物なら理解できるが、石の橋に供養とはね~!

調べてみたら他にもこのような供養塔が全国にあるらしい。石橋が大勢の人に踏みつけられるので、その供養なんだって。


石倉橋山帰りの不動

現在ある帰りの不動は、新東名高速道の建設等で、少なくても3回引っ越ししています。

そのたびに、不動明王と台座の道標を分割し運んで取り付けされたため、位置関係が正しく設置されなかった。本来どこにあったものなのか、ここに案内するたびに議論が絶えない。


そこで、観ボラの歴史好きの役員さんが、模型を作って不動明と道標の4面を回し、どの向きが正しいのか説明するために造った模型だそうだ。

元々道標があった場所が最近特定されたようで、本来あるべき位置がわかるでしょう。

工事が完了した際に、正しく元の場所で復元されたいですね。

不動明王は写真でなく、3Ðで作ったら100点満点あげても良かったかなぁ・・・。