10月26日(土)豊臣秀吉が北条氏攻めに造った「石垣山一夜城」を探索するウォークを行いました。周りの樹木を切り一晩で完成させたように見せたので一夜城と呼ばれていますが、約80日の期間、5万人の兵を動員した大工事でした。
生命の星・地球博物館前の広場(箱根登山鉄道入生田駅から徒歩3分)で、いつものように準備体操をしました。箱根の山々も雲に隠れ、雨が心配されたが、大勢の皆さんに参加いただきました。
生命の星・地球博物館から石垣山一夜城まで3キロ弱のウォーキングコース。早川にかかった「たいこうばし」を渡りました。早々に太閤殿下の登場です。
太閤橋を越えると、ゆるやかな勾配が続きます。歩道も整備された幅広の道ですが、車の通行は多くありませんでした。反対側に何か見つけたようです。
銀杏、レモンの無人販売です。カメラマンも一緒にワンショット。距離は3キロ、難易度★★のコースですが、ひたすら上りで、適宜、小休憩をとりました。
運び出そうとして石垣用石材、石垣山周辺では、箱根火山により生成された安山岩が多く産出され、江戸城の石垣用に切り出されました。道路の脇に切り出された大石が設置されています。硬質の安山岩は築城にもってこいでした。伊勢原日向の日向石は軟質の凝灰岩です。
江戸城の石垣は、立方形にカットされた石を使っています。これから向かう石垣山城は、東国最初の総石垣の城ですが、近江の穴太衆(あのうしゅう)による自然石を積んだ野面積(のずらずみ)の石垣です。穴太衆は、延暦寺の門前町・坂本の石工集団です。
県道から外れて、杉の木立ちの間を歩いて、早川石丁場(いしちょうば)に着きました。石丁場は、江戸城修築のための石垣用石材を調達した場所です。早川石丁場群関白沢支群の中で、発掘された10区は、最も規模が大きく保存状態も良好な石丁場で、足元の県道の下にあります。今回は、時間の関係で、案内板の前での説明でした。
参考までに、前回のウォークで訪れた時の写真です。案内板の左手を下りると、この写真の手前の階段に出ます。この石丁場は、県道工事中に発掘され、石切行程が一覧できるため、橋を上部にかけ保存されています。
入生田から歩いてきた道の途中には、鳥や蝶などの石垣山の自然を解説した掲示板があります。スタジイの古木の説明は一夜城の手前にあります。伊勢原市の木はシイです。
スタジィの大木の写真です。参加者に皆さんもスマホで1枚。
一夜城跡歴史公園に着きました。城内を探索する前に、東口で、観ボラ役員から、秀吉による小田原城攻めについて説明がありました。豊臣20万人、北条6万人。関ヶ原を上回る東西決戦のオオイクサ。説明も熱が入ります。
石垣は関東大震災で崩れたものと思っていましたが、家康が、城を取り壊すべく、石垣の要めである隅石(石垣の角の部分の石)を破壊した箇所もあります。
石垣山城からは、小田原城が一望できます。いつも、参加者の皆さんから、どこ、どこと尋ねられます。鉄塔の左側ですよ。
二の丸(馬場曲輪)東側石垣の前で、班別に集合写真を撮りました。この辺の石垣は比較的小さな石が使われています。二の丸には、翌日のイベント(第40回小田原一夜城まつり)のテントが設置されていました。二の丸広場の緑もあざやかです。1班の皆さんです。
2班の皆さんです。
3班の皆さんです。
本丸の端にある物見台です。相模湾の彼方には、三浦半島や房総半島の山並みも見られます。晴天の機会に訪れたいです。
天守台まで足をのばした皆さんです。
今日のウォークは、一夜城歴史公園(ヨロイヅカファーム)バス停で解散し、12時38分発の小田原宿観光回遊バス「うめまる号」に乗車できるように進行しました。車内では、小田原ガイド協会の添乗ガイドさんの観光案内があり、楽しめました。
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