New!石田から下糟屋ウォークの記録

5月23日(金)近年のウォークでは訪れていない石田地区から小金塚地区を経て大山道の脇街道を歩き、青山道(戸田道)との合流点の市米橋まで、約6kmのウォークです。

集合は愛甲石田駅です。今までは公衆トイレ側に集合でしたが、バスの待合場所が出来てスペースが無くなったので、コンビニ側に変更しました。

天気は曇りで前日までの暑さと打って変わって肌寒い程でウォークには最適と思われました。参加者は35名で3班構成で出発です。

南口のロータリー付近で発掘された弥生時代の環濠集落の説明です。

古代史も好きな役員さんの説明も思わず熱が入っています。

石田地区の鎮守の子安神社で準備体操の後、各班毎に神社と境内の説明です。


子安神社を後にして、新しい住宅も増え景色が様変わりしている石田城の外堀とも云われた場所らしき辺りを通って水神様に着きました。湧き水の池に綺麗な鯉が泳いでいます。以前は昼でも暗い竹藪が左側に有りました。

成瀬コミュニティセンターでトイレをお借りして再出発です。

山門のツツジ(巻頭写真)もあざやかな円光院に着きました。

ここは木曽義仲を弓で討ったと吾妻鏡や平家物語にも書かれている石田為久の供養塔を祀る寺院です。裏手の墓地にの上段に供養塔があります。

これが為久親子の五輪塔の供養塔です。

特に古いものではなく、地区の有志が地元の英雄を称えるものを何か残したいという事で建立したものです。確かにこれ以外には何も石田為久にまつわるものが見当たらず、残して頂いた事に感謝です。


墓地の入り口には近隣ではあまり見かけない七観音の石仏があります。

但し、観音が重複したり様式が一定しないので別々に作られたものではないかとの事です。

境内には他に閻魔大王像を中心に十王と奪衣婆を祀る貞範堂などがあります。

石田地区を後にして、伊勢原では少ない浄土真宗の長龍寺を通って、小金塚古墳に着きました。少し離れた公園での説明パネルで古墳の説明を行い、昭和天皇が皇太子時代に陸軍軍事演習の見学を行った記念碑(鶴駕行啓之所)からの眺めを楽しんだ後、古墳頂上の小金神社の木陰で一息です。(少し暑くなってきました)


青山道の新道を通り、白金地蔵を過ぎた所を曲がり、成瀬中学前で大山道の脇街道に突き当たります。西に向かって歩いた所にある寿経寺で、浄土宗のお寺に良く見られる唯念の六字名号塔の説明です。ここの山門前には近くの宅地開発から避難して来たつげ地蔵も祀られています。

昼食休憩地の丸山城址公園で発掘時のパネル説明です。

出土品から鎌倉時代の糟屋氏、及び室町時代の上杉の館の可能性も考えられるとも云われています。上杉館は上粕屋と云われていましたが・・・

各自ベンチで昼食を楽しんだ後、大山をバックに集合写真です。

糟屋氏に関しては、比企能員の娘を娶った糟屋有季をはじめ、伊勢原の広範囲に勢力を持っていた様です。石田氏と共に郷土の英雄として糟屋氏の足跡が残るものが有れば・・とも思います。


昼食後は引き続き動明王道標や庚申塔の道標も残る大山道(脇街道)を歩きます。

道標ばかりでは味気ないと思っていると、終わりになってイモカタバミの群落が迎えてくれました。この後青山道(戸田道)と合流し、咳止め地蔵の前で解散としました。

間に合わないと思っていた市米橋から伊勢原駅行きのバスにも乗る事が出来ました。

少し長めのウォークでしたが、連日よりは涼し気な天気とバス便には恵まれました。

次回は上粕屋地区のウォークです。ご参加をお待ちしています。(cw)