New!「平塚からの大山道を歩く」ウォークの記録

平塚駅南口に集合。風は少し冷たさを感じるものの、時折差し込む陽の光が心地よく、ウォークには最適なスタートとなりました。

明治20年、平塚駅に東海道線が開通して以来、大山詣での人々は駅から中原、豊田を経て大山を目指すようになりました。今回のウォークは距離も長めですが、大山道の風情をしっかりと味わいながら進みます。

まずは恒例の準備体操を、人魚の像の前で行いました。その後、今日の行程を説明。皆さん、歩く気満々です。

北口に回り、柳の木をご紹介。この木は、なんと一本の挿し木から育ったものだそうです。意外に強い木ですが、柳の寿命はそれほど長くなく、50年ほどで枯れてしまうこともあるとか。

次に「八幡大門通り」へ向かいます。正面には平塚八幡宮の鳥居が見えます。平塚駅開業後、この通りには商店が建ち並び、町の中心として賑わいました。かつてはまっすぐ進めた道も、今では国道を渡るために歩道橋を使って八幡宮へ向かいます。

参拝の後は、八幡山の洋館へ。バラの花に囲まれた可愛らしい建物で、館内を見学させていただき、平塚と洋館の歴史についてお話を伺いました。1905年、日本海軍が平塚に火薬工場を建設し、その敷地内で英国人技術者の交流の場として使われたのが始まりとのこと。その後、火災による焼失や再建を経て、横浜ゴムの応接室としても使われ、2004年に平塚市が譲り受けて国の登録有形文化財となりました。

洋館を後にし、旧追分道へ。現在は交差点が地下道になっています。ここから中原御殿を目指して、大山道沿いを進みます。

途中、「相州仲原富士の碑」をご紹介。仲原は大山参詣の通り道であり、葛飾北斎の『冨嶽三十六景 相州仲原の富士』に描かれた風景が、当時の面影を今に伝えています。

徳川家康が鷹狩りの折に宿泊した中原御殿は、現在の中原小学校を含む一帯に位置していました。御殿は「雲雀御殿」とも呼ばれ、家康公が江戸と駿府を往来する際に宿泊したと伝えられています。文献によれば、中原は御殿だけでなく、中原御林、中原街道(「お酢街道」とも呼ばれた)など、さまざまな歴史がこの地から発しています。

次に訪れたのは大松寺。境内には船乗り地蔵や、海中から出現したと伝えられる聖観音立像があり、ここでしばし休憩。かなり進みましたが、行程としてはまだ半分ほどです。

暗渠になった谷川(やがわ)の跡を見学し、日枝神社へ。境内には庚申供養塔(道標)があり、左側には「ステーンシヨ道」と刻まれています。平塚駅が開業した頃、駅は「ステーシヨン」と呼ばれていたことを裏付ける記念碑です。

集合写真を撮影し、ここで昼食休憩。社務局のご厚意で室内も利用させていただき、TVでドジャースの放送を見ながら食事をする組と、外でのんびり食べる組に分かれて休憩しました。

さて、最終目的地の清雲寺へ向かいます。

こちらは別名「お茶屋寺」と呼ばれています。家康公が鷹狩りの途中、中原御殿から山野を踏み歩いていた際に立ち寄り、住職に煎茶を所望。その味が素晴らしく、「この寺の水は結構な水だ」と称賛したことから「お茶屋寺」と呼ばれるようになったと伝えられています。

清雲寺を後にし、豊田本郷駅へ向かい、解散となりました。よく歩いた一日でした。

次回は矢倉沢往還の2回目となります。たくさん歩きそうな予感がします。お楽しみに!