「金目観音と自由民権運動の里を巡る」ウォークの記録

12月18日(木)、本年最後のウォークを金目観音のお詣りで締めました。

先ずは金目川の両岸に残る自由民権運動で活躍した人々の所縁の場所を巡ります。

秦野駅北口9時38分発のバスに乗り、北金目入口で下車、バス停のすぐ近くにある河身改修耕地整理竣工記念碑(途中で息継ぎが必要です・・)の説明です。

記念碑の近くの歩道橋から、富士山も見える周囲の景観を眺めながらの説明です。

確かに金目川の高さと道路側の民家の高さを比較すると、ここに協力な堤防が必要な事は十分理解できます。対岸からは民権家でクリスチャンの宮田寅治氏により平塚で最初に設立された金目教会が見えます。

歩道橋から見える大山の風景です。大山の輪郭はあまり変わりませんが、伊勢原側からと異なり、高取山が大山の前に重なって見えます。金目川の氾濫の原因ともなった水源地の春岳山(はるたけやま)は大山の左斜面で高取山の頂上(テレビ塔がある)の左側辺りになると思います。

金目川の治水対策として春岳山周辺の植林事業を、金目地域の自由民権運動家トリオ(宮田、森、猪俣)が中心となって推進したとの事です。


通行止めになっている橋があります。前河原橋という名前の様ですが、木造の橋で桁の部分が腐食したので通行止めになっています。2007年に竣工し、今年の5月から通行止めとなった様です。木造の橋は昔からあるのに何故か劣化が早すぎます。

少し下流の金目観音脇の観音橋(コンクリート橋)を渡って対岸に渡ります。こちらも老朽化が激しいので架け替えが必要な雰囲気です。

対岸の南金目にある日蓮宗の宗信寺さんです。ここは三郡(大住、淘綾、足柄上)共立学校が明治19年に開設され、後の中郡の農業学校(平塚農業高校の前身)、育英中学校(秦野高校の前身)となったとの事です。後ろで日蓮さんが聞き耳を立てて説明をチェックしている様です。

観音橋から南金目を南下する街道沿いにある郁文堂発祥の地です。

郁文堂という名前は知りませんでしたが、漢学者の小林晋斉と言う人が開設した私塾との事です。この道路は大山道の一つでもあり、飯泉観音との観音巡礼道でもあり、国府祭の時に三之宮の神輿が通った道で、この先には大磯丘陵を登る「血むせ坂」という難所があったとの事です。(血みせ坂という説もある様です。)

次に訪問したのは天台宗の寂静寺です。(ちなみに伊勢原には天台宗のお寺は浄発願寺のみです)ここには郁文堂の小林晋斉氏や、金目の鍼医(はりい)さんと呼ばれ、平塚盲学校の初代校長となった秋山博氏の墓があります。この境内をお借りして秋山博氏の紙芝居をお馴染みの「こまちゃん」に披露して頂きました。

寂静寺から来た道を戻ります。今回は途中にある「直売トラップ」には引っかからずに真面目に?素通りです。

金目川の観音橋を再び渡って、本日の最終目的地の金目観音の光明寺に向かいます。

(橋の真ん中を歩いている人もいました。一休さ~ん!)

この橋の下流側で三之宮の神輿が金目川で禊をして国府祭の神揃山に向かいます。

板東三十三観音の第七番札所の金目山光明寺と書かれた門柱から仁王門を通ります。

このお寺も寂静寺と同様に天台宗との事です。

境内をじっくり見て頂く為に、班毎に集合(分散?)写真を撮らせて頂きました。班毎にアングルが違ってすみません。一番馴れている1班のリーダーさんの旗が逆だったのは愛嬌です。

本尊の観音様を祀っている観音堂です。国の重要文化財の厨子に収まっているご本尊はなんと60年に一度の甲寅の年に御開帳という事で、一生の内に2度見た人はほとんどいない?と思われます。次回は2034年で7年後ですので、その時は又、観ボラウォークでお詣り出来ればと思います。

境内には本堂以外に、仁王門、歓喜堂、文殊・普賢堂、鐘楼や竹筒で聞きやすくしている水琴窟などがあります。

境内の西側の隅に徳本上人の南無阿弥陀仏の名号塔がありました。天台宗の寺に何故、浄土宗の名号塔があるのか謎ですが、後で調べてみたいとも思います。(後で、と言って忘れるのは良くある事ですが・・)


金目観音様の境内で班ごとに解散として、近くのバス停から帰途に就きました。

これで今年(令和7年)のウォークは終わりです。今年もお世話になり有難うございました。来年の第一弾は1月8日、恒例の日向薬師の初粥です。本尊の鉈彫り薬師様をお詣りした後に初粥を頂いて元気に新年を迎えましょう。

いせはら観光ボランティアガイド&ウォーク協会

伊勢原市を拠点とする観光活動を推進するボランティアガイドです。 伊勢原市周辺の観光案内や観光ガイド、ウォーキングなどを開催。