日向渓谷古刹ウォークの記録

6月20日 主なコース:伊勢原駅⇒日向バス停⇒大友皇子の墓⇒石雲寺⇒浄発願寺奥の院⇒現在の浄発願寺⇒日向薬師(給食)⇒日向バス停で解散

この季節ヤマビルが多いので浄発願寺の奥の院は入り口までに変更し中には入りません。


日向バス停について、先ずは準備体操(K氏指導による体操)


バス停近くに花菖蒲があるとのことで立ち寄ったが、既に花菖蒲

のピークは過ぎていました。


浄発願寺が見えてきましたが、浄発願寺は帰りに立ち寄る予定です。


緑が綺麗で気持ちがいいですね~!


御所の入りの(伝)大友皇子の墓。(解説員はM氏)


大友皇子の墓へお参り。ここにある石塔はレプリカが置かれています。

本物は石雲寺に移され、管理されています。

大友皇子は壬申の乱で破れ、近江で自害したとされていますが、日向

まで逃れてこの山中に隠れ住み、詩歌風月を友として一生を送ったと

も言われ、没後この古廟塚に葬られたという言い伝えがあります。

しばらく歴史から抹殺されていましたが、後に(弘文天皇)として歴

史に残ります。


緑の中のウォークはやっぱり癒されますね。これから石雲寺に向かいます。

石雲寺に到着 新しい山門が素晴らしいですね。


石雲寺の入り口で案内 石雲寺は日本遺産「大山詣り」の構成遺産の1つ

北条玄庵とも関係があるようです。(解説員はT氏)


石雲寺の山門前の階段で集合写真を撮ります。 1班


続いて 2班


石雲寺本堂手前にある石尊社、山号は大山寺と同じ雨降山(うこうさん)

本堂では、歌会の練習が行われていて、この日は本堂には入れず。

石尊社と(伝)大友皇子の墓を見学。

石尊社は石尊権現を祀り「雨降石」をご神体としています。神仏習合の

名残り。

次は浄発願寺奥の院へ向かいます。


奥の院入り口 浄発願寺が山津波で流される前は、ここにありました。

現在、浄発願寺は、1.4キロ程下流に再建されています。

江戸時代幕府より53人の罪人を預かり、更生させた。以降殺人、放火

以外の罪人が、この寺に駆け込むと助けられたといわれています。

奥の院には、53人の罪人が一人一段作ったとされる、石段があります。


奥の院の入り口 ここからしばらく登ると本堂跡があり。さらに上に

木食弾誓上人が、修行したという岩屋があります。

皆さんなんだか落ち着きがなく、足元を気にしているよう。

ここはヤマビルが多く、奥の院や岩窟まで立ち入るのは危険なのでこ

こから先は入りません。

全員ヤマビルに襲われることもなく、無事に戻りました。


浄発願寺の三重塔 本堂は右側。この寺の前には川があり、故力道山の

奥さんが寄贈したという橋が架かっています。

力道山の奥さんは伊勢原市の出身で、浄発願寺との縁があるようです。


三重塔の中に安置された出川釈迦文仏が安置(下見時に撮ったものです)

前に座っておられるのは、三重の塔を建立した住職の姿か、それとも

木食禅誓上人のそうか? 左端にやせ細った仏像があり、きっと木食弾

誓上人像かも・・。

残念ですが、当日は中に入ることができませんでした。

浄発願寺の住職は、山津波で流された仏像を発見し組み立てると、この

仏像のために三重の塔のを建立することを決意します。平成12年完成し

千年は持つと言われる本格建築です。

「丈六の銅像地蔵菩薩坐像」、「歌川国光の供養塔」、「浄発願寺縁起

絵巻」などがあります。

国光の供養塔は珍しい正六角の珍しい形で、上部に菊花紋があります。

浄発願寺は木食弾誓上人の開山です。


日向薬師で給食をとった後、本堂を拝観。

初粥や神木登りで今年何度かお訪れているので、詳細は省略します。


日向薬師参道を下りバス停へ向かいます(仁王門付近)

いせはら観光ボランティアガイド&ウォーク協会

伊勢原市を拠点とする観光活動を推進するボランティアガイドです。 伊勢原市周辺の観光案内や観光ガイド、ウォーキングなどを開催。