ウォーキング企画 「青山道②(大山道)を歩く」の記録を掲載しました。

久し振りのウォーキング日和になりました・・。今回は東急田園都市線「鷺沼」駅から「市ヶ尾駅」まで歩きました。

1班と2班に分かれ歩きます。1班のガイド担当はM氏、2班の担当はY氏。

1班

鷺沼駅近くの公園で体操を終えた後、ガイドの紹介とコースの概要を説明。

同じく2班


 1班   阿弥陀堂

石仏が二体あり、地蔵には元禄元年十二月(1688)」の文字が刻まれています。そのころに悪病がはやり、多くの子供がなくなり、その供養と子育てを願い、上村家の妻が中心になり阿弥陀堂を建てたそうです。画像右の道路が国道246号です。奥が三軒茶屋方面で手前が伊勢原方面です。


2班


1班

右側の小高いところに民家がありました。民家の家の向きが他の家と違うことに違和感を感じます。以前この家の前を大山街道が通っていたとのことです。その後宅地開発が進み、道が大きく変更されてしまい、取り残されたのでしょう。


2班


住宅地に入ると、登り坂や下り坂が多くなります。


本日も絶好調の2班ガイド担当のYさん。英語ガイドを担当しています。

ここは、皆川園さん。左側には広い庭に石灯篭や庭石などを置いた植木屋さんで、以前、大山街道の立場が置かれ、馬の休憩所でした。立場茶屋もあったそうです。


血流れ坂:罪人を処刑したことから付けられた地名と言われています。実際はこの辺が鉄分を多く含んだ土地で、鉄分が溶けて赤茶けた色になっていたようです。付近には鉄を連想させる金糞谷と言う地名もあったようです。 ※住宅地に入ると道が複雑になり、画像と場所が一致していないかも・・。


うとう坂:牛久保から牢場谷に下る急坂。「うとう」は「鳥頭」で善知鳥、宇頭、有藤など色々な当て字が使用されていますが、切通しのことです。

一説に昔、ここを通ったある藩主が、籠の中から処刑を見て「うといものを見てしまった・・」と言ったのが、坂名の起こりだとも伝えられていますが・・個人的には、街道の側に刑場があったとは思えません。

 ※住宅地の為、画像と場所が一致していないかも・・。


再び、国道246号線にでました。

今度は傾斜地に立ち並んだ家々の前を歩きます。この住宅の上にも数段家が建っています。この住宅地の地下には、湧水を一時的に溜めておく貯水施設があり・・満杯になると川に放流されるされるように造成されています。こうした場所があちらこちらに見ることができます。

1班

次は、「霊泉の滝」、滝不動尊は、誠に霊験あらたかです。皆の地域に雨の降らない時に雨乞いをすると、必ず降るとあります。昔から喘息、百日咳、風ひきなど、お水をいただきながらお願いごとをすると必ず治癒したそうです。

2班

不動滝 

さてお味はと・・試しに飲んだ方がいましたが、ぬるくておいしくなかったそうです。

お持ち帰りの際は、煮沸して・・と。

不動滝横の急な階段を登ると、老馬鍛冶山不動尊あります。


皆さんの関心は、不動尊に寄付をした方々の氏名が刻まれた石碑。寄付金額がこれでだけで氏名が刻まれるとはと・・。



1班

荏田下庚申塔:この庚申塔は、その昔1793年徳川時代中期に荏田村下宿の夫人たちによって建てられたもので、当時盛んだった庶民信仰の1つに疫病、厄払いのため六十日、庚申の日に講中の人(女)が集まって眠らずに祈願し、一夜を過ごす風習があったそうです。

ここは昔栄えた大山街道の道筋で、江戸を発った旅人の一日目の宿場の入り口でもあり道標としても親しまれてきたようです。

「荏田」の地名は「えごま(えごま)」の多いところということ。荏の草ともいい、荏胡麻油をとります。これは食用ではなく、灯明油として使われ、油紙の製造にも使われたようです。


2班


荏田宿の街並み 1班

 2班

市ヶ尾地蔵堂

途中の公園で昼食タイム①


途中の公園で昼食タイム②

途中の公園で昼食タイム③



旅籠綿屋

日野往還と大山街道が交差する十字路に、古い二階建ての建物が、明治5年に建てられた綿屋という旅籠ですが、明治末期に廃業。

本日のウォーク参加の皆さんと、市ヶ尾竹下地蔵堂の階段下での集合写真。

※少し大きい画像サイズでUPしていますので、引き延ばしが可能です。

いせはら観光ボランティアガイド&ウォーク協会

伊勢原市を拠点とする観光活動を推進するボランティアガイドです。 伊勢原市周辺の観光案内や観光ガイド、ウォーキングなどを開催。