大山ガイド「三の鳥居から良弁滝 」英語ガイド養成講座

12月8日 大山ガイド英語ガイド養成講座が行われました。

講師:石井久恵

使用テキスト:宮崎武雄薯 翻訳:石井久恵

相模大山 大山今昔史跡巡り(和英文共用)

三の鳥居

この銅製の鳥居から上が大山の門前町で、入り口である。新編相模国風土記稿に「坂本村小名新町に銅の鳥居あり之当山の入り口なり」とある。ここの鳥居は、江戸火消し「せ組」により建立されたので「せ組の鳥居」とと呼ばれている。

そのご何回か改修され、現在の鳥居はバスの通行に支障をきたさない道路幅より広くして昭和六十年(1985)に作り直したものである。

※大山の鳥居の数

阿夫利神社の鳥居は、11基あった。

一の鳥居=藤沢市四谷にある。(現)大山街道田村通の入り口

二の鳥居=四五三の五霊神社前にあったが、今は新道との分岐点に移設された。

三の鳥居=門前町入り口の「せ組」の銅鳥居

四の鳥居=開山町(なし)

五の鳥居=追分社(なし)

六の鳥居=男坂一丁目(なし)

七の鳥居=下社拝殿前

八の鳥居=本坂登り口

九の鳥居=本坂一丁目

十の鳥居=本坂2丁目

十一の鳥居=頂上前社前

※下社拝殿前の鳥居は五の鳥居とンっている。伊勢原駅前の鳥居は、小田急線開通後の建立でこの数とは別である。

二ツ橋

三の鳥居を過ぎたところに、小川が流れていて、板だけの小さな橋が二つ架かっていたところから地名となった。高台で眼下に田園風景の広がる風光明媚なところだったらしい。

江戸時代ここに高札場があった。二ツ橋は大山門前町の入り口である。とこから大変賑わったと思われる。

准后道興の和歌「おぼつかな 流れも分けぬ川水に かけ並べたる二ツ橋かな」


当時の布まねき

大山に入ると玉垣に囲まれた「何々坊」「先導師何太夫等の看板のある家が立ち並ぶ。

これが先導師の宿坊で、現在40件くらいある。又旅館も兼ねている。大山が権田直助翁により神道体制になったとき、それまでの御師を先導師と名を変えた。「坊」と言うはその名残りである。また、「太夫」は御師に与えられている称号である。また、「太夫」は御師に与えられて称号である。「式部」は、神官に与えられる官位であろう。

今は旅館、料理屋を兼業している。

※布まねきは、英語ガイド受講者が収集したもの




ここの道路を横切り路地を入ると、大山八大坊の末寺。現在は新築された建物に八大坊、観音寺、来迎院の三院の本尊が安置されている。



観音堂跡 

新築された建物は、左奥にあります。建物は和風作りで住職が住んでいる。

坂東三獅子

村山坊の庭にある。この石造りの親子獅子の構図は、親獅子が子獅子を谷に落とし、這い上がってきた強い子を我が子を育てたと言う伝説に因んだもので、天保元年(1830)に江戸石工二十一組が大山石尊に奉納した。これと同じものが神田明神と成田不動にある。作者は当時の石彫りの名工、弓町の石切等兵衛と言われている。

大山の先導師旅館には、講の名前や檀家の名前が彫られた玉垣がみられます。

以前、三獅子は豆腐坂の辺りにあったとようですが、山津波でここまで流されと言われいる。



旧道にある、きゃらぶき屋さんで試食

大山にはきゃらぶきの老舗が2店あり、米屋さんは社務所前、大津屋さんはコマ参道にあります。味を知ることも大事。

米屋きゃらぶき屋から大滝方面に行く道が小田原道で、山越えの寂しい道で、途中水呑地蔵がある。小蓑毛、寺山を経て秦野、小田原方面へ抜ける。

大滝

下の案内板には高さ9メートルとある。これに関してのコメントは・・・

ここをにガイドする時は、ヤマビルの動きがなくなる冬の時期だけにしましょう。


看板には禊の大滝とあるが、看板の浮世絵とはずいぶん違う。

道標から約百メートル山中へ入ったところにある。大山講中の水垢離場であった。一勇斎国芳の錦絵には項中の禊ぎの風景が描かれており、江戸時代かなり賑わった様子がうかがえる。

これより先の水呑地蔵は30分位歩くとあるそうだ、もし案内を希望されれもコースからかなり離れるので、別に企画していくほうがいい。(元の参道へもどろう)

阿夫利神社社務所

普段は静かなところである。しかし、秋季祭(8月27日~29日)には、是非参拝されることをお勧めする。大山のお祭りは夜が賑やかだ。門前六町町の御輿が社務所に集合し、夜、練り歩く。平成13年に新築再建された能楽堂「清岳殿」では、能と狂言が演じられる。

日中は、倭舞、巫女舞が奉納される。


大山祗大神の渡御

27日午前、秋季祭の古式にのっとった儀式が始まる。阿夫利神社拝殿の境内に幔幕を張り、宮司一人による祭神の神輿への遷座の儀式が厳かに行われる。

その姿は誰も窺い知ることは出来ない。遷座が終わると神輿は白装束の輿丁にかつがれてけわしい男坂をかけ降り阪本町に到着する。それから門前町は一転し賑やかになる。

一見の価値あり<<以下省略>>


八大坊下屋敷跡(現社務所地)

江戸時代は大山寺八大坊の下屋敷であった。八大坊とは大山を支配する別当寺の名称である。

下屋敷には、年貢米の徴収やその他諸々の行政を司る役人を置いていた。支配地の司法も行い囚人を主要する牢獄も大滝の傍らにあったという。八大坊は大名並みの格式が許され、屋敷の門構えも立派であった。今ある池や庭園は、その時の名残り一部であるという。

阿夫利神社も大山町がが合併され伊勢原町になるまで、大山町民の死亡届の受理、埋葬許書は神社社務局が発行していて、行政の一部を行っていた。


愛宕滝

大滝、良弁滝、元滝と並ぶ滝の1つで参詣者の禊ぎが行われた。滝の左右に倶利伽羅竜王が安置されてたと言うが、山津波で流され、今は右側に石造の竜王が一体残っているだけである。

開山堂

開山堂は良弁堂とも呼ばれている。今の宝形造りの美しいお堂は、明治40年(1908)7月に東京開山興により再建された。道内の正面中央に良弁僧正坐像、右には猿が赤子を抱いた立像、左に姥大日如来像が安置されている。猿が赤子を抱いた像は良弁僧正の自作と言われている。

開山堂の前で浮世絵と比べ、江戸期の様子と見比べる。

開山堂の左には、良弁滝がある。

大山寺の紅葉が終わると、大山の紅葉も終わりと思われていましたが、開山堂横の紅葉が丁度見頃でした。

ここで予定時間がきてしまったので本日は終了になります。

前日に行われた一般ガイド養成講座は、凍えるような寒さの中で行われましたが、英語ガイド養成講座の当日は、一転し快晴でポカポカ。大山に登る登山客でいっぱいでした。

養成講座に参加された方の中に大山在住の方がいて、大山詣りの納め立ちの実物や布まねき、浮世絵や大江戸期大山と明治以降の大山の大山の古地図をいただき変遷していく大山の様子がよくわかります。

いい、ガイド資料になりそうです。ありがとうございました。


いせはら観光ボランティアガイド&ウォーク協会

伊勢原市を拠点とする観光活動を推進するボランティアガイドです。 伊勢原市周辺の観光案内や観光ガイド、ウォーキングなどを開催。