高森・江戸時代の大山道を歩く 一般ガイド養成講座

成瀬地区もう一つの青山道


講師:郷土歴史家 宮崎武雄

小田急線愛甲石田駅~咳止め地蔵間を歩きました。

途中、成瀬公民館にて、大山・大山道についての講義あり


愛甲石田駅からの大山道は矢倉沢往還道とも青山道とも呼ばれている。一般には国道246号線石田交差点を左折し新道に入り小金塚の脇を通り白金地蔵・成瀬小学校前を通り下糟屋で戸田道と合流し、高部屋神社の前を通り東海大学病院の南側の道を経て咳止め地蔵に至る道を紹介している。しかし、石田交差点からの新道は明治35年に出来たもので、江戸時代には使われていない。「地図で見る 伊勢原の変遷」によると、明治15年の測量図はへっぴり坂がはっきりしているが、大正10年の地図では新道を主要路としており、へっぴり坂は不明瞭である。また、明治20年には東海道本線が国府津まで開通し平塚まで汽車で来ることができ、多くの人は平塚から大山へ向かったと言われている。今回は、新道が開通する前の大山道を訪ねてみることにした。

しかし、その痕跡をすべて見つけることは難しいが、出来るだけ想像力を働かせて調べてみたい。

※おことわり:大山に向かう道はすべて大山道で、青山道などとは言わない。帰りの時青山道などと言うが、今回大山に向かう道も大山通り青山道の意味を込めて青山道などと記す。

浄心寺 (愛甲石田)

栖岸山浄心寺という浄土宗のお寺である。天正2年(1574)相誉上人周貞が開山し、その後、嘉永2年(1625)鎌倉武士の末裔である岩崎外記が堂宇を建立した。

本尊は、阿弥陀三尊像である。阿弥陀如来像は南北朝(14世紀中)に作られ、観音菩薩、勢至菩薩の脇侍像は江戸時代の作である。


境内に不動堂があり、不動明王が祀られている。

不動明王の存在が明らかになったのは、最近になっての事のようで歴史的にも価値のある物と思われる。文化財として管理されたい。


不動堂の前に文化12年建立の石評があり「無阿弥陀仏」の題目と、「左 ひなた なゝさわ、右 いゝ山 をぎの」⇒現在の地名「左 日向 七沢、 右飯山、荻野」の文字が刻まれている。


へっぴり坂(割地坂)国道246号を通すため小高い山が削られ、現在の道路となった。

国道246号線の石田交差点の先に、右へ下る坂がある。その坂を下ると登りになり当時の地形の面影を残す。


上り坂にとなる。これがへっぴり(割地坂)である。日本ロジテムの中を昔は登っていて、これを登りきると見晴らしの良い高台に着く。

この頂上に昔2件の茶店があり、ここで休憩した。矢倉沢道(青山道)で最も景色がよい所だと茶店のばあさんは言っていたと・・。


寿経寺

つげ地蔵から移設された地蔵様が門前に安置されている。


対面にもつげ地蔵から移設された庚申塔が並んでいる。


小野道との十字路

寿経寺を少し先行った角地に庚申塔があり、左側面「大山道 右馬道、左 かち道」と刻まれている。横の案内文には「北に向かって小野道とし、東より荻野道・藤太道と交差し西の粟窪に通じる大山・日向の裏街道として古くから利用された」とある。この地に茶店があったと伝えられている。

こうした案内板は「アド・大山道」の方々によって建てられたもの。



つげ地蔵

由来は不明だが、つげの大木の中に、庚申塔とお地蔵様が祀られていたが、今は寿経寺内に安置されている。付近の住宅開発のため、今は無残な姿となっている。

(後ろ半分の太い枝が折れたまま)


粟窪 T字路

この地点に不動明王坐像を載せた道標がある。正面「左大山道」 左面「右厚木道」 右面「此の方 飯山 八王子」と彫られている。

今は新東名工事のため、妙泉寺への迂回路の十字路に立っている。


弥杉道標

咳止地蔵に向かって歩いて、ふじやま公園の前に道標がある。庚申塔で右面「西大山道」、左面「東あ歩き?」と刻まれている。

ふじやま公園入口(駐車場南)には天智7年(668)僧行基が開いた竹林寺がある。一群の古い石塔の右から2番目の六角柱石が盤泉和尚の墓石である。江戸時代黄檗宗を開き小田原城主稲葉正則は深く帰衣したという。

この地域でよく使われる石は日向石で、少しもろく風化が早いようです。何とかしないと・・

長く、観ボラの観光ガイドの養成に携われてこられた 郷土歴史家の宮崎武雄講師は自ら案内版の設置するなどの活動も行ってきました。伊勢原市の歴史の証拠でもある史跡が消えてしまうことに危機感を持っていらっしゃいました。


咳止め地蔵

地蔵堂の横を流れる川が渋田川で、流れを堰き止めて新田の開発を行った所であるが、いつしか、堰が病気の咳を止める咳止めなり、端息平癒の守護神として信仰されてきた。

地蔵さんに願をかける時、泥の団子をお供えし、願いがかなったとき本物の団子をお供えするすると伝えられている。


とも知らず、お賽銭を入れ咳止めのお願いをしてしまいました(笑い)

今日はこの冬一番の冷え込み、どうか風邪をひきません・・なぁむ~・・



咳止め地蔵のお堂の前に、道標が立っている。ここで、下糟屋で柏尾道(戸田道)と矢倉沢道が合流してできた道と出会う。また、大山に向かう大山街道と三島大社に向かう矢倉沢往還の分岐点となるところである。

堰き止め地蔵の裏手の台地はふじやまと呼ばれる小高い丘で、浅間社が祀られ冨士講が盛んであった。この地では繭の市場も開かれていたという。

この像の頭は、廃物希釈で落とされたのでしょうか、残念です。








いせはら観光ボランティアガイド&ウォーク協会

伊勢原市を拠点とする観光活動を推進するボランティアガイドです。 伊勢原市周辺の観光案内や観光ガイド、ウォーキングなどを開催。