三ノ宮比々多神社春季例大祭

比々多神社は国土創建の神(豊斟野尊)、酒造りの神(大酒解神(大山祗神))小酒解神(木花開邪姫)等をお祀りする伊勢原を代表する古社です。紀元前665年と伝えられ、延喜式にのる式内社です。天武5年(676)には、相模国の安泰と繁栄を祈念する国府祭が始まったと言われるが、明治6年国府祭が中断された大正13年(1913年)に復活。この間(大正2年(1913年))から4月22日に始まった例大祭は化粧塚での神事、ちまち蒔き等国府祭の要素を取り入れた祭りになっている。


午前中に山之宮神社を出発し、神戸の町内まで移動し、午後4時頃に三之宮神社に戻ってくる宮入が始まる。

宮入時には、栗原地区、三之宮地区、神戸地区の人形山車が続く

あばれ御輿 時には勢い余って土手からの転落や、転倒をすることも・・。この担ぎ手は、神戸地区、栗原地区、三ノ宮地区の氏子によって、交替しながら、神社へと向かう。

御輿が三ノ宮神社に無事お戻り(宮入)すると、境内に3地区の人形山車が鳴ら出られ祭りは最高潮に達する。

人形山車の上に乗る人形は、三ノ宮(加藤清正)栗原(熊谷次郎直美)神戸(加羅先代萩の男之助ということだが、この地域との関係はない。とにかく強い人を乗せおらが地区が一番というのだろ。人形は、歌舞伎などに登場するシーンを再現したもので、人形にはかんたんなカラクリが仕組まれています。

山車が揃うと、各地区の代表が、神社の総代から餅の入った俵を受け取る。かなり重さです。

始めに受け取った地区は、俵を持ち上げたまま最後の地区が受け取るまで、手を下ろすことは出来ない。

三地区のすべてが俵を受け取ると、俵を宙に抛り上げる。何度も何度も・・俵の縄がほどけそうになると、中に入ったちまき蒔が行われる。


見学者に、ちまき蒔きが行われる。この後の行事についは、来年のお楽しみ!
神社の周囲にはたくさんの露天商のお店が出て、夜も賑わう。植木商が多いのが特徴。


宮入するまでの間、周辺のウオーク。保国寺の子育て地蔵。

保国寺は宝暦(1751~1764)の頃、この寺に孝戒さんと言うお坊さんがいらっしゃいました。大変慈悲深く、特に子供好きな坊さんでした。貧しいの農村の幼児達の生命、当時はいつも死の危険にさらており、数多くの数多く失われる幼児の死を悼み、その健全な成長を願って丈六の地蔵尊大像と百体の子育て地蔵尊造立の大願を建てたのは宝暦12年(1762年)のことであった。百体もの地蔵尊を造ろうとしたのは一人でも多くの子供たちに十分に仏様の目が届くようにしたためである。小像百体の子育て地蔵尊は、近郊百カ村に勧請されて、それぞれの集落ごとに一夜の受けながら巡った。これを「一夜地蔵」または、「まわり地蔵」と呼んでいる。今でも一部の地域などで、廻っていると言う。

まわり地蔵/一夜地蔵

子の聖権現の座禅石

萬松寺 859年頃「子の聖」が、この地に庵をつくり土地開発や仏法を広めたり、聖峰に不動尊を祀るなど地域の人々の信頼が厚く「子の権現」と呼ばれています。天正2年(1574)小田原北条氏の臣で白根領主 遠山左衛門野尉康英は、萬松寺を再興し主君北条氏康の位牌所としました。これにより寺紋も北条の「三つ鱗」としました。


ウォークに参加の皆さん

塔の山に登る予定でしたが、三之宮比々多神社春の例大祭の宮入に間に合わないためパークセンターに立ち寄り、休憩し三之宮へ。 

いせはら観光ボランティアガイド&ウォーク協会

伊勢原市を拠点とする観光活動を推進するボランティアガイドです。 伊勢原市周辺の観光案内や観光ガイド、ウォーキングなどを開催。