11月2日(水)秋晴れの絶好の行楽日和に恵まれた中で、イヨリ峠越え大山古道のウォークを行いました。
秦野駅発9時15分発のバスに乗り、東田原バス停で下車、東公民館でトイレ休憩&準備体操を行い今日のウォーク開始です。
ヤビツ峠行きの県道70号秦野清川線との分岐点に大山古道出入口の看板があります。この看板は「まほら秦野みちしるべの会」が2013年に設置したものです。ここからの古道はかっての大山町と繋がる生活道路であり現在も県道701号線となっています。
この分岐は近年の道路整備によって出来たもので、蓑毛道と坂本道の本来の分岐はこれより500m程南にある様です。(上図参照)
更に進むと左右の分岐があり、古道は左側ですが新東名で分断されてしまっていますので右側の道路を進みます。坂道を上がると眼下にはガードレールも路面の白線も真っ白な開通して間もない新東名、正面には秋晴れの空に冠雪した富士山と箱根連山が見える絶景がありました。
更に進むとこの辺では有名な蕎麦屋さんが見えてきます。道路脇には春めき桜が植栽されていますので春の季節は蕎麦と桜が楽しめそうです。
舗装道路も終わり、ヤマビル対策も行いいよいよ山道です。登り始めた所に不動明王像の道標があります。このお堂は近隣の武義雄さんという方が2011年に無償でブロック壁と銅板葺のものに改修したそうです(堂内に置いてあった新聞記事から)寺山地区には源実朝の首を首塚に葬った武常晴の御子孫も居られ、武姓の苗字の家も多いとの事です。
古道の脇はゴルフ場(東京カントリー)です。ナイスショット!の掛け声も聞こえてきました。「あー」という声も・・でも好天気の中のゴルフも楽しそうです。
悪路の坂を上り切ってやっとイヨリ峠に到着です。東公民館から約1時間半掛かりました。峠のシンボルの不動道標の前での集合写真です。この道標は原因は分かりませんが中央部で折れて倒れたままでずっと放置されていたものを2013年に改修したもので、不動さんの光背と上半身は中国の彫刻家によるものと事です。
道標を上がった所は舗装された浅間林道で、ここからは楽な下り坂となります。
途中の高圧線が通る所は樹木も無く伊勢原方面の眺望が望めました。
林道脇にサラシナショウマ(更科升麻)が咲いていました。水でさらして若菜を食した事、根は升麻という漢方薬に使われた事が名前の由来との事です。
程なく、水吞地蔵に到着です。ここには新旧の水吞地蔵や庚申塔の石造が祀ってあります。
向かって右の地蔵座像が1800年代に作られたと思われる天野勝五郎作のもので、左の立像は浅間林道開通記念に伊勢原森林組合が平成4年に建立したものです。
右の地蔵の台座には右 小田原道了尊、左 大山大瀧道、と彫られているので本来は道の反対方向に在ったものと思われます。
更に林道を下ると芭蕉の句碑のありここが古道と林道の分岐点になります。句碑は風化が激しく文字を読み取る事は出来ませんが、「雲雀より上にやすらふ峠哉」と書かれていたとの事です。
この句は芭蕉の父の33回忌法要で帰郷を兼ねた旅で吉野に近い細峠で詠んだ句で、元の句は「上にやすらう」ではなく「空にやすらう」となっているそうです。
句碑のそばにこんなのもありました。
ここで古道アタック隊と林道組に分かれますが、元気な参加者が多くほとんどの方が古道を選びました。
最初は難所も無く普通の山道ですが段々えぐれたところが深くなって来ます。
雨が降ったら赤土で滑りやすく危険ですが今回は乾いていたので比較的大丈夫でした。
といっても気を緩める暇は有りません。県道ではなく「険道」と呼ばれる所以です。
こういう悪路は手を使うか杖をつかうかの「三点支持」が基本です。基本に忠実なベテランの方々です。
やっと林道との合流点に着きました。舗装路になって安堵の表情です。
最後のヤマ場の下りです。急斜面なので滑らない様に注意して下りました。
禊の大瀧に到着です。水量が多く何条かの滝になっていました。
イヨリ峠から1時間+α位で最終ゴールの阿夫利神社社務局に到着し、ここで解散です。
林道組は更にこれから数十分遅れて到着しました。
全員無事怪我も無くウォークを終了出来ました。
それにしても昔の人は足腰が丈夫だった事を痛感すると共に、沿道の人の街道の遺跡に対する愛着を再認識するウォークだったと思いました。
0コメント